「おりえんとびいなす」体験記

松山・大分・瀬戸内海クルーズ

2001年6月14日(木)〜6月17日(日)
名古屋在住 牧野 愛子様

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〈※PTS注〉2007年12月現在、「おりえんとびいなす」は現役を引退しており、後継船の「ぱしふぃっくびいなす」が活躍中です。

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梅雨時にふさわしく大雨の名古屋港を出港し、四日間のクルーズが始まった。

長年、クルーズを楽しんでいる友人の美佳さんと私だが、ビーナスクルーズは今回が二回目である。

神島を右舷に見て外洋に出ると、紀伊半島をかわすまではよく揺れるコースだが、目的の瀬戸内海が濃霧とのことで、今のうちに時間稼ぎをするためにスピードを出しているので、余計元気に揺れている。

紀伊水道に入り「佐々木襄コンサート」が始まる頃には静かになった。
日本人には稀なバス歌手である佐々木襄さんのコンサートもすばらしかったが、佐々木さんは食事やお茶の時いつも船客の中に溶け込んで気さくに話し、写真をお願いしてもニコニコとオーケーしてくださる。

最近はコンサート以外はひたすら部屋で過ごし、食事も部屋で済ませるエンターティナーが多いので、いつも船客と共にくつろいでいらっしゃる佐々木さんはとても温かく、新鮮に感じられた。

また、現在すでに四人しか残っていないという「幇間」(たいこもち)の桜川七好さんも、夜のカジノコーナーでビール片手にチップを山のように積み上げていらした。
そして二日目の夜、良き時代なら旦那衆だけが楽しんだ「お座敷芸」を披露してくださった。陸上ではお座敷とは無縁の私、クルーズならではの貴重な体験だった。

船客に溶け込みフレンドリーなもてなしをしてくれたのは、エンターティナーばかりではない。
船客の船内生活を支えるクルーが皆、とても笑顔のステキな方たちなのである。

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クルーズの一番の楽しみは食事だが、ダイニングルームへ行くたびに、フィリピン人スチュワードはもちろん、日本人マネージャーたちも、実に元気でにこやかに接してくださる。だからつい私も「おいしいですね」と声をかけたくなる。

本当に、心からおいしいと関心したのは、和食といっしょに供されるお茶である。船のお茶はあまり期待できないと長年感じていたのが、ここで吹っ切れた。
どんな茶葉を使っているのか吾郷マネージャーが説明してくださった。
一日の歩数は一体どれくらいかしらと、感心するほどダイニングルームを忍者のように移動しながら船客の世話、フィリピン人スチュワードたちに指示を出す彼を、私はいつの間にか観察していた。
私の背後でスチュワードたちのタガログ語が聞こえてきた時、その会話の中に吾郷マネージャーも入っていることが分かった。

フィリピン人スチュワードにタガログ語で指示するマネージャーに会ったのは、初めてだ。ゼネラルマネージャーに伺ったところ、日本人クルーは一応タガログ語の勉強をしているが、吾郷マネージャーは特別熱心に勉強している、とのことだった。
日本船で働き仕事が楽なわけはなく、日本語の勉強もしなければならないフィリピン人クルーにとって、同じようにタガログ語を話そうとする上司の存在は、お互いの理解と信頼につながり「良い仕事」へと結びつくのではないだろうか。実に良い職場だ。

寄港地、松山と大分では、私たちはその街の人々の暮らしを覗きにいった。
名所、旧跡を訪ねるのもひとつの方法だと思うが、私はその土地の郵便局、商店街、デパートの食品売場などに行くのが好きだ。
「人数少ないから、きっといいものあるわね」と美佳さんと話したとおり、デザートにいただいた自家製のバナナシャーベットは、天にも昇る幸せな味だった。
計十回のお食事と、ティータイムやお夜食を順調にこなしながら下船の時が来た。

雨にたたられたのは初日だけで、残りの三日間はどんよりと霞む瀬戸内海と、穏やかな航海が続いた。
クルーズが終わり、いつもの生活に戻るとため息が出そうになるが、ビーナスのクルーの笑顔を思い浮かべ、ため息の代わりに私も笑顔になる。

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